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織田 重治(おだ しげはる、1917年(大正6年)6月29日 - 1995年(平成7年))は、大阪通管工業所の創業者〔創始者略歴 (有)大阪通管工業所 〕で、アマチュアの古代史研究家。 == 経歴 == 兵庫県神戸市生まれ。旧制第一神戸中学校(現 兵庫県立神戸高等学校)を卒業。旧制第三高等学校(現 京都大学の前身)を経て京都帝国大学を卒業。三井物産株式会社に入社。 1947年(昭和22年)7月 財閥解体に伴い、三井物産から分離した互洋貿易株式会社に勤務する。1954年(昭和29年)に転職し、産業廃棄物処理業の浪速金属(大阪市旭区)に入社。1956年(昭和31年)鋼材加工業である大成興業の創立役員として勤務。1966年(昭和41年)家庭用下水配管の洗浄業を大阪市浪速区桜川で個人経営として創業。1968年(昭和43年)4月、家庭用下水配管の洗浄業を有限会社大阪通管工業所に改組する。 1983年(昭和58年)大阪医科大学の解剖学実習の為の献体組織「さつき会」の初代会長となる〔大阪医科大学の献体13年 日本財団図書館(電子図書館) 〕。 1985年(昭和60年)3月、「好太王碑文」の改竄説否定と碑文の再解析の為に、古田武彦に従い藤田友治ら21名と訪中して「好太王碑」の現地調査を行う〔東方史学会好太王碑訪中団の報告 東方史学会事務局 〕。 1995年(平成7年)死去。享年78。遺体は故人の遺志により献体された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「織田重治 (古代史研究家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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